【宝塚記念2025】メイショウタバル陣営「馬主・松本好雄。管理調教師・石橋守。勝利騎手・武豊」←最高だぜ!
※基本的に敬称は省略いたします。ご了承ください。
2025年の宝塚記念は、武豊騎乗の7番人気・メイショウタバルが逃げ切り勝ちでGⅠタイトルを獲得しました。
ファン投票及び単勝オッズ一番人気のべラジオオペラは2着入着。
2年前、2023年の春の天皇賞馬ジャスティンパレスが3着という結果で幕を閉じました。
メイショウタバルの関係者の皆様、宝塚記念優勝おめでとうございます。
今回は、“メイショウ”の松本好雄オーナー。メイショウタバルを管理する石橋守調教師。そして武豊騎手について書いていこうと思います。
宝塚記念と、“メイショウ”松本好雄
20世紀最後の年である2000年。
メイショウドトウは、この年の宝塚記念でGⅠ競走初出走を果たし、2着という成績を残します。
そして、この時の宝塚記念で優勝したのは、古馬になって本格的に覚醒したテイエムオペラオーでした。
この宝塚記念以降、テイエムオペラオーとメイショウドトウの対決が繰り広げられ、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念でもテイエムオペラオーが優勝、メイショウドトウは2着という結果が続きました。
年が明け、21世紀となった2001年。
テイエムオペラオーとメイショウドトウのライバル関係は続くことになりますが、春の天皇賞でもテイエムオペラオーが勝利をおさめ、メイショウドトウは2着という結果でした。
2000メートル前後のチャンピオン・ディスタンス、2400メートル前後のクラシック・ディスタンスという中距離競走だけではなく、長距離競走でもテイエムオペラオーに勝つことができなかったことから、一部の競馬ファンの中には「メイショウはテイエムには勝てない」という思いを抱く人も増えていったと記憶しています。
そして、2001年の宝塚記念。
メイショウドトウがテイエムオペラオーと出会って1年が経ちました。
通算では6度目の対決となった宝塚記念。
メイショウドトウがテイエムオペラオーに一矢報いて、その順位が入れ替わる瞬間を迎えたのです。
メイショウドトウ、宝塚記念優勝。
メイショウドトウが宝塚記念を勝利したことで、馬主である松本好雄もGⅠオーナーの仲間入りを果たしたのでした。
メイショウドトウが宝塚記念を優勝してから24年。
干支が二回りした2025年の宝塚記念を優勝したのはメイショウタバルで、松本好雄にとっては2度目の宝塚記念勝利となりました。
メイショウサムソン・石橋守と、アドマイヤムーン・武豊
2006年の皐月賞と日本ダービーを勝利したのはメイショウサムソン。
メイショウサムソンに騎乗していたのは石橋守でした。
現在ではメイショウタバルを管理する調教師です。
そして、この年の武豊は皐月賞と日本ダービーでアドマイヤムーンに騎乗していました。
アドマイヤムーンは皐月賞では一番人気でしたが4着、日本ダービーでは3番人気で7着という結果でした。
翌年2007年。春の天皇賞を勝利したメイショウサムソンは宝塚記念に出走しましたが、武豊から岩田康誠に乗り替わったアドマイヤムーンの2着という結果でした。
ちなみにですが、この時の3着馬は武豊が騎乗したポップロックでした。
宝塚記念の後、メイショウサムソンには凱旋門賞(フランス)に挑戦する計画があったので、松本好雄はメイショウサムソンの鞍上を、海外経験豊富な武豊に依頼することになります。
「馬のことは調教師に任せる」というのが松本好雄の基本姿勢ですが、この時は「凱旋門賞に挑むメイショウサムソンの鞍上は武豊」という拘りを見せたと言われています。
しかし、ここで問題となってくるのは、新馬戦からメイショウサムソンとコンビを組み、皐月賞と日本ダービーを勝利した石橋守への対応でした。
「すまない、マモル君。メイショウサムソンの凱旋門賞は、ユタカ君に乗ってもらいたい」と言って頭を下げる松本好雄に対して、
「自分からも頼みたいくらいです」と返答し、快くメイショウサムソンの鞍上を武豊に譲ったという石橋守。
騎手時代を振り返った石橋守のコメントを見ると、
「もし自分が松本オーナーの立場だったら、凱旋門賞でのメイショウサムソンの鞍上は武豊に依頼をする」
「デビューから22年目でGⅠ競走で勝利し、さらにはダービージョッキーになれたことで騎手として満足してしまった。そのため、乗り替わりに関しても悔しさを感じなかった」
という趣旨のコメントを2021年12月に出しています。
結局2007年のメイショウサムソンは馬インフルエンザに感染したため凱旋門賞に挑戦できず、日本国内での競走に出走することになります。
元々国内は石橋守。海外では武豊という構想だったそうですが、2007年の秋以降のメイショウサムソンの主戦騎手は武豊となりました。
メイショウサムソンは武豊を背に、天皇賞・秋を勝利し、同一年での天皇賞春秋連覇を達成。
石橋守はメイショウサムソンの主戦騎手を外れましたが、松本好雄とは良好な関係を保ち続けたそうです。
松本好雄と、石橋守と、武豊
松本好雄は87歳と高齢ながらも馬主を続けており、今でも競馬ファンから尊敬される馬主の一人です。
高額馬や流行りの血統には安易に手を出さず、独自の信念のもと競走馬を数多く所有しており、石橋守厩舎には数多くの“メイショウ”を預けています。
「武豊・武幸四郎兄弟の騎手人生の危機を支えた馬主」とも言われています。
競馬での座右の銘(ざゆうのめい)は「人がいて、馬がいて、そして又、人がいる」
石橋守は2013年に騎手を引退し、調教師に転身しました。
調教師としての初勝利は2014年のメイショウネブタ。
重賞及びGⅠ競走初勝利はメイショウタバル(2024年・GⅢ毎日杯、2025年GⅠ宝塚記念)
武豊は56歳となった今でも体内時計は健在で、騎手として競走馬に乗り続けています。
“メイショウ”の馬でのGⅠ勝利は、2007年のメイショウサムソンの天皇賞・秋以来だったと記憶しています。
年下の武豊が石橋守をからかう事ができるくらい、両者の関係は良好とのことです。
固い信頼関係を構築した三者に、三嶋牧場。
宝塚記念、優勝おめでとうございます。
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